ご無沙汰です。雅無乱です。
全24巻の大著である『世界の歴史』の第1巻「人類の誕生」(著者:今西錦司ほか 河出書房)を古本屋で手に入れた。

“はじめに”から読み始めると、「事実とは何か?」についての面白い記述がある。
読む前にこっちもお願い!

“世界の歴史”といっても、それが人類の歴史である限り、有史以後なとどいうのは、わずかに5000年間のできごとにすぎない。本巻で詳しく述べるように、人類はすでに200万年前にはりっぱに人類として生活していたのであり、人類の祖先がはじめてこの地上にあらわれだしたのは、さらにさかのぼって、1400万年も前のこととも思えるのである。この悠久な過去に目をつむって、人類の歴史をたった5000年の歴史であるかのようにすりかえたのは、いったい誰の責任であろうか。(中略)
ここまでさかのぼれば、歴史学者や考古学者が金科玉条にしている“実証主義”だけでは、もはやまにあいかねることを、あらかじめ知っておく必要がある。実証主義ももちろんけっこうなのではあるけれども、それはどこまでもわたしたちの学問なり研究なりに対して、わたしたちが設定したひとつの方法であり、ひとつの指針であるにすぎない。そうとすれば、その方法なり指針なりの限界にきて、もはやそれにたよっていたのでは研究も進まず、問題も解けないということになったとき、もうそんな役にたたなくなったものはさっさと捨てて、もっと有効な方法なり指針なりを、あらたに設定することこそ、ほんとうに学問なり研究なりを生かす道ではないだろうか。つまり、“実証主義”にそむくことがこわいようでは、この未知の領域に踏み出す資格はないのである。(『世界の歴史』第1巻「人類の誕生」今西錦司ほか著 1989年文庫版初版・河出書房 11~13頁)
このブログに書いてあることや、このブログの基になっている認識群(根概念)が書かれている『実現論』(
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=0)に書いてある事について、
「それは実証されていない」「それは仮説にすぎない」と言って躍起になって攻撃してくる方が時々いる。私はそれに対して、「そうやで、その通りやで」と言うことにしている。「それの、どこが問題なんや?」と。そんなことを言い出せば、
現実は全て実証されていない仮説でできあがっている(世の中に絶対不変の事実がある、なんて思っている人は、よほどの妄想家か何らかの宗教を信仰している人だけではないだろうか)。